ポトスの学名はなぜPothos属じゃない?変遷理由の歴史

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悩んでいる人

「以前はポトス属に分類されていましたが現在でもこの名で呼ばれています」と本にありました。
なぜポトスはポトス属ではなくなったのですか?

こんなお悩みを解決します。

本記事の内容

  • ポトスの学名の歴史と変遷
  • ポトスの学名の語尾の違い
  • 学名が変遷した理由

本記事の信頼性

自己紹介
poto
  • ポトス50種以上の栽培歴・コレクター
  • グリーンアドバイザー
    (公益社団法人日本家庭園芸普及協会)
  • フラワーショップ経営

本記事を書いている私はポトス50種類以上の栽培歴を持つポトスマニアです。

“ポトスの学名はなぜポトス属ではなくなったのか?変遷の理由と歴史”についてご紹介します。

※この記事では“ポトス”=Epipremnum aureumを指しています。

目次

ポトスの学名の歴史と変遷

  • 1753年 リンネが「POTHOS」を記載
  • 1789年 ジュシューが「ポト」と表記
  • 1857年 ショットがEpipremnum(ハブカズラ)属を確立
  • 1879年 ソロモン諸島からリンデンの温室に持ち込まれる
  • 1880年 リンデンとアンドレがPOTHOS AUREA(ポトス・アウレア)と命名発表
  • 1899年 ナドーがエピプレムナム・ムーレンセに変更
  • 1908年 エングラーがスキンダプサス属に分類
  • 1958年 バクハイゼンがエピプレムナム属、ラフィドフォラ属、モンステラ属は同属と主張
  • 1962年 ポトスが初めて開花。バージーがエピプレムヌム属と気付く
  • 1963年 バージーがラフィドフォラ・アウレアと命名
  • 1964年 シンガポールで開花。フルタドが発表
  • 1964年 バンティングがエピプレムナム・アウレウムと成文化する
  • 1978年 ニコルソンがEpipremnum aureumはEpipremnum pinnatumの品種と提案

ポトスの学名変遷一覧

1879年Pothos aurea (aureus)ポトス アウレア(アウレウス)
1880年Pothos aurea (aureus)ポトス アウレア(アウレウス)
1899年Epipremnum mooreenseエピプレムナム ムーレンセ
1908年Scindapsus aureusスキンダプサス アウレウス
1963年Rhaphidophora aureaラフィドフォラ アウレア
1964年Epipremnum aureumエピプレムナム アウレウム

ポトスの学名の語尾の違い

“ポトス”の学名を調べていると、以下のように語尾が微妙に異なるものがあると思います。

  • Pothos aureus
  • Pothos aurea
  • Pothos aureum

学名表記はラテン語と決まっています。

そして、ラテン語の名詞と形容詞には男性形、女性形、中性形があり、名詞がもつ「性」によって形容詞の語尾が変化します。

形容詞(黄金の)Pothos(ポトス)正誤
aureus(アウレウス/オーレウス)男性名詞×
aurea(アウレア/オーレア)女性名詞×
aureum(アウレウム/オーレウム)中性名詞

現在、「Pothosは中性名詞」と考えられているため、“黄金の”を表す形容詞は「aureum」なのですが、

1880年、リンデンとアンドレは「Pothos」を女性名詞と考えたため、“黄金の”を表す形容詞は「aurea」になり、(Pothos aurea)と命名発表しました。

しかし、植物分類体系であるエングラー体系に従うと「Pothos」は男性名詞となり、“黄金の”を表す形容詞は「aureus」になり、起源名は「Pothos aureus」であるとしています。

そのため、Wikipediaにも1880年にリンデン&アンドレが「Pothos aureus(ポトス・アウレウス)」と命名した書かれていますが、

実際にリンデン&アンドレが初めてポトスを紹介した月間園芸評論誌『L’ILLUSTRATION HORTICOLE』Vol.27 P69には「POTHOS AUREA”(ポトス・アウレア)」と記載されています。

ポトスの学名変遷の歴史

ハブカズラ

1753年 リンネが「POTHOS」を記載

スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネ(Carl von Linné)は1753年『Species Plantarum』第2巻P968にて、サトイモ科ポトス属のポトス・スカンデンス(Pothos scandens)について「POTHOS」と明記しています。

拡大すると、Zeylona(ゼイロナ)=現在のスリランカ原産とあります。

ポトス・スカンデンス(Pothos scandens)とは、いわゆる私たちが良く知っている“ポトス”Epipremnum aureum’(エピプレムナム・アウレウム)のことではなく、

本物のポトス属のポトスのこと。

pothos scandens

>>ポトスの原種!本物のポトス属スカンデンスとシネンシス

まだこの当時はEpipremnum属は発見されていません。

1789年 ジュシューが「potho」と表記

フランスの植物学者アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー(Antoine-Laurent de Jussieu)はスウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネの著書の改訂版であり、

1789年に出版された自著『Genera Plantarum』で、東南アジアのサトイモ科ツル性植物を全て“ポト(potho)”と表記しました。

シンハラ語(スリランカ公用語)のポトスの呼び名“ポタ(Potha)”に由来とされていますが、ジュシューより前に師匠のリンネが著書に「POTHOS」と記載しているため、この場合“由来”ではなく、現地の呼び名を使用したと思われます。

1857年 ショットがEpipremnum(ハブカズラ)属を確立

現在、“ポトス”はAraceae(サトイモ)科Epipremnum(ハブカズラ)属ですが、当時はEpipremnum(ハブカズラ)属自体がまだよく分かっていませんでした。

しかし、1857年にオーストリアの植物学者ハインリヒ・ヴィルヘルム・ショット(Heinrich Wilhelm Schott)が

彼が知っている唯一の種Epipremnum mirabile( エピプレムナム・ミラビレ)に基づいてEpipremnum(ハブカズラ)属を確立しました。

Epipremnumの語源

ギリシア語のエピ ἐπί(=upon) (~の上) とプレモン πρυμνόν(=prémnon) (木の幹の底・切り株) に由来。

イタリアの婦人科医で植物学者ウンベルト・クアトロッキ(Umberto Quattrocchi)の著書『 CRC World Dictionary of Medicinal and Poisonous Plants: Common Names, Scientific Names, Eponyms, Synonyms, and Etymology 』に記載。

Epipremnum mirabile(エピプレムナム・ミラビレ)は日本では“マングーカズラ”として知られています。

耐寒性などハブカズラよりも強いためこの名があります。

(ハブとマングースを戦わせるとマングースの方が強いから)

ところが、Epipremnum mirabile( エピプレムナム・ミラビレ)については“ハブカズラ”(Epipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)の種内変異に過ぎないという意見もあり、詳細がわかっていません。

そのため、現状Epipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)と同義語になっています。

Epipremnum pinnatum・・・ハブカズラ属ハブカズラ種

最近では“ポトス”Epipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)もEpipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)と同義語にされています。

その証拠に、農林水産省の品種登録データでは、ポトスの学名はEpipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)ではなく、Epipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)が使用されています。

1879年 ソロモン諸島からリンデンの温室に持ち込まれる

1879年にリンデンの温室に持ち込まれたのが、観葉植物“ポトス”の歴史の始まりです。

リンデンとはベルギーの植物学者ジャン・ジュール・ランダン(Jean Jules Linden)のことで、市内に商業用庭園を所有していた園芸家でもあります。

ブラジルなどにも動植物採集のために遠征しているため、現在で例えると新種の植物を探すプラントハンターのような人です。

1880年 リンデンとアンドレがポトス・アウレアと命名発表

正確にいうと学名“POTHOS AUREA”(ポトス・アウレア)は1879年に初めてリンデンの温室で命名され、1880年(明治13年)に『L’ILLUSTRATION HORTICOLE』Vol.27のP69(ミズーリ植物園所蔵)にてリンデンとアンドレの共同で植物学的に発表されました。

『L’ILLUSTRATION HORTICOLE』とはリンデン自身がベルギーのガントで発行していた月間園芸評論誌

リンデン(Jean Jules Linden)最初に命名(1879年)ベルギーの植物学者ジャン・ジュール・ランダン
アンドレ(Édouard François André)植物学的に発表(1880年)フランスの造園家エドゥアール・フランソワ・アンドレ
歴史上はじめてポトスという名前が記載されたリンデンとアンドレの発表書
© copyright of the Missouri Botanical Garden, Peter H. Raven Library

サブタイトルには“金葉のポトス”(POTHOS A FEUILLES DORÉES)と書かれており、イラストも掲載されています。

© copyright of the Missouri Botanical Garden, Peter H. Raven Library

一体どのような内容なのかというと、前半は花の構造や葉の形、匍匐茎、斑など植物学的な特徴、

生息域の説明として「熱帯アジアとオセアニアの低木でマダガスカルにも生息している」とあります。

そして、後半に「リンデン氏が1879年にソロモン諸島から取り入れた」と書かれています。

ポトスの原産地がソロモン諸島と言われているのはこれが理由。

しかし、現在はポトスの原産地はソロモン諸島ではなかった!【最新研究結果】ことが判明しています。

「この目新しさは特に枝分かれした匍匐する、登る茎の豊富さと、非常に不均一であると同時に黄色い斑入りの葉が注目に値する。温室の岩を飾るための貴重な植物である。リンデン氏が1879年にソロモン諸島から取り入れた。ドラセナとクロトンと同様に扱えるため大量に導入した。」

ただ、リンデン、アンドレ両者とも本当はポトス属ではないのに分類を間違えてしまいました。

私たちが“ポトス”と呼んでいる植物が、実はポトス属ではないにもかかわらず“ポトス”という名称が付いてしまった原因は、この時にリンデンとアンドレが分類を間違えたからです。

なぜポトス属と間違えてしまったのか?

リンデンとアンドレはなぜポトス属と間違ってしまったのでしょうか。

2004年にイギリスの植物学者ピーター・チャールズ・ボイス(Peter Charles Boyce)が“ポトス”(Epipremnum aureum)の原産地について発表した論文によると、

不稔性の幼若素材(分析するには適さない)に基づいて発表したため、当時ポトス属のどの種とも明らかに異なる外見であったにもかかわらず一般的な位置づけをしてしまった。

不稔性(ふねんせい)・・・種子ができないこと

という内容が書かれています。

こちらが実際にリンデンとアンドレが分類を間違えたEpipremnum aureum標本です。(1881年)

© copyright of the Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew.

後ほど説明しますが、“ポトス”(Epipremnum aureum)は花が咲いて初めて子房の特徴からエピプレムヌム属と特定できたため、そもそも若い葉だけでは科学的に分析するのは不可能でした。

ところが、リンデンとアンドレは、なぜか当時ですら他のポトス属の植物と明らかに外見も異なっていたにもかかわらず、ポトス属と判断してしまったわけです。

大発見!リンデンが“ポトス”をポトス属と間違えた理由が判明

なぜリンデンは、現在私たちが“ポトス”と呼んでいるエピプレムナム属(Epipremnum aureum)の植物をポトス属と間違えて分類したのか、私はずっと気になっていました。

なぜなら、“ポトス”はポトス属の植物と形も大きさも質感も全く違うからです。

以下は本物のポトス属のポトス・スカンデンス(Pothos scandens)

pothos scandens

>>ポトスの原種!本物のポトス属スカンデンスとシネンシス

しかし、以下の植物を発見したことでリンデンが間違えた理由がやっと分かりました。

これは、ポトス属のポトス・スカンデンスの黄斑(Pothos scandens variegated)です。

pothos scandens variegated

一般的にポトス・スカンデンスは緑一色ですが、稀に黄斑が入るようです。

ポトス・スカンデンスは、ポトスに似た新種の植物が見つかったときに比較対象とするポトスの基準種と決められています。

つまり、ポトス属の代表種。

1879年、世界で初めてリンデンがソロモン諸島から私たちがポトスと呼んでいる植物(Epipremnum aureum)を見たとき、何属の植物なのか分類しようとしました。

リンデンとアンドレの共著『L’ILLUSTRATION HORTICOLE』Vol.27のP69によれば、「黄色い斑入りの葉が注目に値する」と書かれています。

おそらく、リンデンはソロモン諸島周辺地域で、黄色い斑が入るツル性植物と同じ仲間なのでは?と考えたはずです。

ここからは私の推測になりますが、リンデンは非常に稀ではありますが、ポトス・スカンデンスに黄斑が入るケースがあることを知っていたのではないか?と考えました。

ポトス・スカンデンスは“ポトス”(Epipremnum aureum)が発見される126年前の1753年、すでにリンネが存在を発表しています。

pothos scandens variegated

今でこそ“ポトス”(Epipremnum aureum)に黄斑が入ることは当たり前に感じますが、初めて発見したリンデンにとっては衝撃だったはずです。

だからこそ、黄斑が入るポトス・スカンデンスの存在を知っていたリンデンは、“ポトス”(Epipremnum aureum)を初めて見たとき、ポトス属と間違えてしまったのではないかという結論に至りました。

この間違いが2004年、イギリスのアロイド学者ピーター・ボイスによって訂正されるまで124年間もかかりましたが、今も尚140年以上“ポトス”の名前は残り続けています。

1899年 ナドーがエピプレムヌム・ムーレンセに変更

1899年にフランスの海軍外科医師で植物学者のジャン・ナドー(Jean Nadeaud)がエピプレムナム・ムーレンセ(Epipremnum mooreense)と名付けました。

ナドーは船医であっため南太平洋のタヒチに3年ほど住み、島に自生していた植物の採集・研究をしていました。

ナドーが凄いのは、“ポトス”がポトス属ではなく現在のハブカズラ(Epipremnum)属であることに気付いたこと。

ポトスがハブカズラ属であると科学的に判明するのはここから63年後の初めて花が咲く1962年です。

そして2004年ポトスの原産地がソロモン諸島ではなく、フランス領ポリネシア ソシエテ諸島のモーレア島と判明したのは、ナドーがモーレア島で採集した標本に基づいています。

この標本が無ければポトス(Epipremnum aureum)の本当の原産地は分かりませんでした。

1908年 エングラーがスキンダプサス属に分類

1908年にドイツの植物学者ハインリヒ・グスタフ・アドルフ・エングラー(Heinrich Gustav Adolf Engler)がスキンダプサス属に分類し、Scindapsus aureus(スキンダプサス・アウレウス)になりました。

エングラーはポトス属の特徴が部分的に無いこと等、外観で判断したことが間違いでしたが、スキンダプサス属に分類しました。

次の項目で紹介しますが、のちに子房と胚珠の数が異なることが判明しています。

なぜ誰も異を唱えなかったのか?というと、エングラーは新エングラー体系という植物分類体系を作った権威だったため、疑う余地が無かったんです。

そのため、54年後の初めてポトスに花が咲いたことを確認した1962年までスキンダプサス属のままでした。                                                                                                                                                                                                                                                                                            

1958年 バクハイゼンがエピプレムヌム属、ラフィドフォラ属、モンステラ属は同属と主張

1958年学術誌『ブルメリアサプリ』にてオランダの植物学者バクハイゼン(Reinier Cornelis Bakhuizen van den Brink 1911~1987 )は、

「Epipremnum(ハブカズラ属)はRhaphidophora Hassk(ラフィドフォラ ハスク)属とMonstera Adans.(モンステラ)属と同属なのでは?」という論文を出しています。

論文の概要

「Epipremnum mirabile(エピプレムナム・ミラビレ)の子房の数と、Rhaphidophora lacera Hassk(ラフィドフォラ・ハスク)の子房の数がほぼ一緒だから同属では?」という内容。

ちなみにRhaphidophora Hassk(ラフィドフォラ ハスク)属とはヒメハブカズラ属のこと。ドイツの植物学者ジャストゥス・カール・ハスカール(Justus Carl Hasskarl)が分類しました。

代表的なのはヒメモンステラ(Rhaphidophora tetrasperma)。

ところが、バクハイゼン自身が、論文内で胚珠の数について「標本も見てないし、見た目的にも同じだから多分同じなんじゃん?」的なこと述べているため、異端的な考えと言われています。

確かに、外見上はそっくりなのですが、、、

要するに自分で行った研究結果に基づいて発表したわけではなく、他の研究者(ショットやハスカール、エングラー)が行った結果を分析しただけです。

ちなみに、Epipremnum属とRhaphidophora属の違いはのちに正しく訂正されており、別属として分類されています。

子房胚珠
Epipremnum(ハブカズラ)属1室2~8
Rhaphidophora(ヒメハブカズラ)属2室多数
Scindapsus(スキンダプサス)属1室1

1962年 ポトスが初めて開花。バージーがエピプレムナム属と科学的に推測

1962年、アメリカ領プエルトリコとマイアミのフェアチャイルド トロピカル ガーデンの両方の植物園で初めてポトスが花を咲かせました。

アメリカの植物学者でアロイド(サトイモ科)研究家のモンロー・ロバーツ・バージー(Monroe Roberts Birdsey)が、花序の生殖器官を顕微鏡で調べました。

すると、1908年当時エングラーとドイツの植物学者クルト・クラウゼ(Kurt Krause)が分類していたEpipremnum ceramense(エピプレムナム・セラメンス)に属することを示す重要な子房の特徴(基底胎座に2個胚珠がある)を初めて明らかにしました。

基底胎座(きていたいざ) (basal placentation):少数個の胚珠が子房の基底部につくもの。

※Epipremnum ceramense(エピプレムナム・セラメンス)は当時の資料を見る限り“ポトス”(Epipremnum aureum)だと思われる。

バージーは科学的な研究結果から、ポトスはスキンダプサス属ではなくエピプレムナム属だろうと考えていました。

1963年 バージーがラフィドフォラ・アウレアと命名

バージーは“ポトス”はエピプレムナム属であろうと考えていたにもかかわらず、なぜか1958年オランダの植物学者RC バクハイゼン ヴァン デン ブリンク(Reinier Cornelis Bakhuizen van den Brink Jr.)が発表した異端的な考えに従うことを選択します。

結果的に、バージーはPothos aureus(ポトス アウレウス)を“Rhaphidophora aurea”(ラフィドフォラ アウレア)とし、ラフィドフォラ(Rhaphidophora)属であると発表しました。

なぜバージーはバクハイゼンの異端論に従ったのか?

なぜバージーは“ポトス”の花の構造を観察した結果、エピプレムナム属だと判断したにもかかわらず、意見を取り下げバクハイゼンの異端論に従ってしまったのでしょうか。

正直なところ、本当の理由はわかっていません。

しかし、バクハイゼンという人はお父さんも植物学者であり、お爺さんはその当時最も影響力のある文芸評論家、哲学者でもあり知識人でした。3人とも同じ名前(Reinier Cornelis Bakhuizen van den Brink )なので紛らわしいですが。

つまり、バクハイゼンは権威のある家柄であったことは言うまでもありません。

そのため、バージーも異端論をなかなか覆せなかったのではと思います。

その証拠かどうかは不明ですが、バージーはその後“明らかにポトスはエピプレムナム属に属するべき”と意見を戻しています。

1964年 シンガポールで開花。フルタドが発表

シンガポールのヤシ専門植物学者でありサトイモ科も研究していたカエターノ・ザビエル・フルタド(Caetano Xavier dos Remedios)は1964年にポトスの花が咲いたことを報告しています。

ところが、フルタドは1962年にポトスの花が咲き、バージーが先に発表したことを知らなったようです。

また1908年当時エングラーとドイツの植物学者クルト・クラウゼ(Kurt Krause)が分類していたEpipremnum ceramense(エピプレムナム・セラメンス)に関するニコルソンの手書きのメモに基づいて、発表しています。

自身の研究ではなくニコルソンの研究結果を参考にして報告、発表したということです。

ニコルソンとはアメリカの植物学者ダン・ヘンリー・ニコルソン(Dan Henry Nicolson)。

ニコルソンは肉穂花序(にくすいかじょ)の分析により、Epipremnum aureum(エピプレムナム アウレウム)はEpipremnum pinnatum(エピプレムナム ピナツム)に非常に近いと確認しました。

なので、ニコルソンは両者は別種という考えを持っており、“ポトス”(Epipurem aureum)はエピプレムナム属ではなくラフィドフォラ属だと考えていました。

シンガポールで働いていたこともあり、フルタドはニコルソンの考えを支持しました。

つまり、ニコルソンもフルタドも“ポトス”はエピプレムナム属ではなく、ラフィドフォラ属だという間違ったバクハイゼンの考えに従っていたことになります。

1964年 バンティングがエピプレムナム・アウレウムと成文化する

1964年、ついにアメリカの植物学者ジョージ・シドニー・バンティング(George Sydney Bunting)が正式にPothos aureusをミズーリ植物園の年代記に“Epipremnum aureum”(エピプレムナム・アウレウム(オーレウム)と成文化しました。

これにてポトスの学名はEpipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)に決着しました。

これ以降、議論になったのはEpipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)とEpipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)は同じ種なのかどうかです。

バンティングはEpipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)とEpipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)は非常に似ており、同属に入れるべきと言っています。

1978年 ニコルソンがEpipremnum aureumはEpipremnum pinnatumの一品種と提案

1978年アメリカの植物学者ダン・ヘンリー・ニコルソン(Dan Henry Nicolson)は、両者を区別するには違いが不十分であるため、Epipremnum aureum(エピプレムヌム・アウレウム)はEpipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)の一品種なのでは?と提案しています。

しかし、現在では“ポトス”Epipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)とEpipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)は成長過程における特徴の違いにより別種として考えられています。

学名属名種名
Epipremnum aureumハブカズラオウゴンカズラ
Epipremnum pinnatumハブカズラハブカズラ

ただ、農林水産省の品種登録データでは、“ポトス”の学名はEpipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)ではなく、Epipremnum pinnatum(エピプレムナム・ピナツム)が使用されています。

学名が変遷した理由

ポトス属ではないにもかかわらず、Epipremnum aureum(エピプレムナム・アウレウム)を“ポトス”に分類してしまった原因は、分析するには適さない不稔性の幼若素材に基づいて発表したからです。

そして、コロコロと学名が変遷した理由は、花が咲かないと分析できなかったからです。

サトイモ科特有の花(肉穂花序)の構造を調べることで、属名を特定できたのですが、

1879年にソロモン諸島から持ち込まれて以降、1962年までの83年間、開花が記録されませんでした。

なぜポトスは中々、花が咲かないのかというと、自身が作り出す成長促進に必要な植物ホルモン「ジベレリン」が不足しているからです。

ポトスの常識を覆す新情報

“ポトス”の学名に関する変遷の歴史を紹介しましたが、

実は“ポトス”については常識を覆す新情報があります。

それは“原産地はソロモン諸島ではありません!!

>>ポトスの原産地はソロモン諸島ではなかった!【最新研究結果】

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